美しい写真を撮ったり、時には人目のない公園で側転したりする、パーキンソン病歴30年のロンリさん。パーキンソン病と診断されてから現在までを振り返りながら”パーキンソン病への想い”を語ります。
※お花の写真は、ロンリさんが撮影したものです。
パーキンソン病と診断されるまで
私は、動くのが大好きなアクティブ派人間です。小学校3年から体操部で、柔軟な体と俊敏性を構築されたと思っています。その後も、市民マラソンやウィンドサーフィンなど多くの経験をしました。
しかし、運動後の疲れはいつも半端ではありません。運動後は、歩くのも疲れのせいで遅くなり、歩き方も体が前屈みで足を引きずりながらに変わってきました。今までは普通に歩いていたのに、なぜ歩きにくくなったのだろうと不思議に思ったものです。
今思うと、これが予兆だったのでしょう。あらゆる総合病院に行っても、どこにも異常がなく、モヤモヤしてました。その数年後に、パーキンソン病と告知されて、どこかホッとしたのを覚えています。
パーキンソン病との付き合い方を考える
パーキンソン病の症状は千差万別です。パーキンソン病は私の人生に大きな影響を与え、また、希望と絶望の連続の中で多くのチャンスも奪われました。
ほとんどの方は、パーキンソン病の告知で衝撃を受けて落胆をするけれども、腹を括って前へ歩き出します。私の場合は、覚悟や前向きな方向性を見出せず、30年近く経っても往生際悪く、パーキンソン病を受け入れられませんでした。
なぜなら、体調がいい時を本来の自分だと考えているからです。体調が悪い時は室内を歩けなかったり、声がでにくかったりしますが、一方、体調がいい時はスプリンターのように素早く動き、物事の捉え方や考え方も前向きになります。
体調の良い時と悪い時のギャップから、体調の変化は症状の進行とは考えずに、体質が変わるのだと捉えるようになったら、気持ちが楽になりました。
最善を尽くせば、最悪は生じないと信じて
発病から30年近く経った今、年に1度、同級生10人位で温泉に行く事が恒例ですが、会ってもあまり盛り上がりません。糖尿病、痛風で酒や食が進まない友人、入退院を繰り返す友人など、それぞれが健康に問題を抱えています。
友人らの状況を目の当たりすると、自身の苦しみが障害者という引け目も隔たりも感じません。身体障害者手帳の有無で自分が特別なものだと思う事も難しいものです。パーキンソン病を見た目や年代で比べることも無くなります。
病気だけで置かれた環境などで甲乙つけるものでなく、自分の偏見を払拭して、今後も社会に自然に馴染めるように心がけています。
確かにパーキンソン病の症状が曖昧すぎて、なかなか家族や周囲に理解されないという声も聞きますが、それ以前に自分自身が理解に苦しみます。一口にパーキンソン病と言っても、各個人によって出現する症状が違うため、なかなか理解されない人や社会に嘆いてもピンとこないでしょう。もう少しハードルを下げて理解でなく、まずは関心をもって頂くことに努力出来たらいいと思います。
国の保証や、パーキンソン病の症状が進行する上でこの先の不安なことはありますが、ただ最善を尽くしていれば最悪ないはずです。これらはあくまで自分に当てはまることですが、目指す方向は同じ仲間もいるので、共に進みましょう。